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昔は窯場の職人のことを「窯ぐれ」と言った。全国の窯場を渡り歩き、今、尚、陶工、原料屋として、昔ながらの窯場の知識、技術を唯一引き継ぐ小川哲央の随筆をお楽しみ下さい。 (2012年3月改訂しました)


by ogawagama

26 唐九郎

 「芸術は正気の人間がつくったものはダメだ。
 常に自分の仕事を省みる。
 できていないことだらけである。
 できていないから、努力する。
 永久に努力する。
 死ぬまで努力するような狂人にならなければならない。」
 
 唐九郎の言葉である。

 彼ほど世の風当たりを強く受けた男もめずらしい。しかしその風も、受ける度ごとに強くなっていった。なぜか。それは、彼が博学だから乗り越えられたのだと思う。そして魅力があったから、社会も見離さなかった。
 彼がロクロの前に座ると禅僧となる。「無我の境地」だ。禅の勉強を常にしていたから、自然とそうした姿にもなれたのだろう。陶工としての姿勢も、あくまで自分で土を探し、釉を考え、窯もつくる。一切のことを人に任せず、自分でやってしまう。貧乏根性だったから強い。
 芸術家に余分な金があるとよくない。しかし、極度の貧乏は、気持ちを萎縮させてしまう。最低限必要なだけあるのが一番いい。それ以上あると心乱れるもの。
 周りの陶芸家たちが立派な家をつくるのに、雨漏りのする家に住み続け、その分、毎日本を買い、読み続けたと聞く。名品は、人格の形成された人からしか生まれないもの。学び続けなければ、決して良いものは作れないことを実践した人。
 
 それが加藤唐九郎。わが心の師匠である。
by ogawagama | 2008-12-19 17:36 | 26 唐九郎