昔は窯場の職人のことを「窯ぐれ」と言った。全国の窯場を渡り歩き、今、尚、陶工、原料屋として、昔ながらの窯場の知識、技術を唯一引き継ぐ小川哲央の随筆をお楽しみ下さい。 (2012年3月改訂しました)


by ogawagama

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 日本のやきものは、大陸の影響を受けながら、すでに弥生時代から優れたものがたくさん焼かれていましたが、その華が開いたのは桃山時代と皆が思うことでしょう。
 
 なぜ華開いたのか?
 
 時代の要請をうけ、それまでの貴族趣味の否定と言える「侘」を精神とする、草庵茶道が村田珠光(じゅこう)により始められ、陣中で茶を楽しむ習慣が生まれたのです。
 信長の時代となると、武将はもちろん、豪農、商人たちもが、茶の湯を楽しみ始めました。
 大成させたのは千利休。これを継いで、更に発展させたのが古田織部でありましょう。利休が、宗教を主体とすし、作為を抑制して、飽くまでも内包的な簡素美を愛したのに対し、織部は、人間の力による造形芸術を良しとしました。
 自由を好む時代的背景が支えとなり、弥生以来の、中国、朝鮮の模倣から離れ、わが国初の、純日本風なやきものが創られることになりました。
 
時代の要請もあるが、私はこの古田織部によって、やきものだけではなく、全ての近世の戸が開いたと考えています。地理的に大陸文化の終点であり、進んだ技術、文化を習うばかりであった日本が、一人のプロデューサーのエポックメイキングを経て、独自の道を歩み始めることとなったのです。
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by ogawagama | 2008-12-06 15:44 | 9 日本のやきものの誕生