昔は窯場の職人のことを「窯ぐれ」と言った。全国の窯場を渡り歩き、今、尚、陶工、原料屋として、昔ながらの窯場の知識、技術を唯一引き継ぐ小川哲央の随筆をお楽しみ下さい。 (2012年3月改訂しました)


by ogawagama

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119 伊賀

 私にとっての第二の故郷、伊賀。この地から私の焼き物人生が始まった。
 槇山に一軒家を借り、毎日粘土探しと古窯跡めぐりに明け暮れた。

 粘土に恵まれるこの地は、須恵器時代からずっと焼き物が続けられてきました。今も土鍋を中心にいろんな焼き物が焼かれています。

 しかし私が好きなのは筒井定次が領主であった24年間の桃山伊賀。

 その肌合いは、小石混じりで土そのもの。
 しかし信楽と違い、実はきめ細かく手触りも良く女性的でもある。
 その形は、山割れ・歪み・大胆なヘラ目を付け、一旦シンメトリーを外し、これに耳を付けることでバランスを取っており実に巧妙。
 焼けは白をベースに、黄~オレンジ~赤の緋色、青~緑~紫のビードロ、黒~茶の焦げがつき、まさに窯の炎が創り上げた千変万化の色合い。
 自然であり一見無骨でありながら、しかし、茶人が作らせたものであるから口当たり手触りが良く、使い手への配慮が秘められており、まさに大胆さと繊細さを併せ持つ桃山伊賀。

 庶民が使う雑器の信楽とは違い、審美眼が確かな茶人が作らせた究極の茶道具である。

 そんな伊賀の器を、さっと水で濡らして使えば、料理の味を引き上げ、野の花を生ければ花を最も美しく見せてくれる魔法の器でもある。

 伊賀焼が生み出されたこの地は標高が高く、氷点下10度にもなる厳しい冬が長く、春夏秋冬がとてもはっきりしている。だからこそ自然の力強さと弱さ、優しさと厳しさ等の、二つの顔を分かる人達が作ったものだからこそ、あの美しさを引き出せたとも思う。
 その土地の気候・風土を背負って焼き物は生まれてくるものです。

 詫びとは詫びるが語源。過去を反省し、新たなものを創り出す努力をすること。
 寂びとは寂しいが語源。何の飾りもない本体のみ、一切の装飾がない余分なものを取り除いた姿。

 私にとっての伊賀焼はまさに詫び寂びそのもの。誰もが見たことのない斬新なフォルムでありながら、あくまで土を薪で焼いただけの土そのものの姿。

 日本やきものの一つの究極の美のスタイルではないだろうか。
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by ogawagama | 2012-03-08 22:52 | 119 伊賀