昔は窯場の職人のことを「窯ぐれ」と言った。全国の窯場を渡り歩き、今、尚、陶工、原料屋として、昔ながらの窯場の知識、技術を唯一引き継ぐ小川哲央の随筆をお楽しみ下さい。 (2012年3月改訂しました)


by ogawagama

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146 作陶スタイル

 一品づつ時間をかけて丁寧に作る作家もあろうが、私はたくさん作り、たくさん焼くことを前提にしています。

 しかし、単に数を作れば良いというものでもない。千個作れと言われて、千個作るのは職人。作家であれば、理想の茶碗1個の為に、千個いや何千個作らなければいけないと考えています。
 だからこそ、まずは手を動かすこと、作ること、焼き上げること。
 この繰り返しの中からしか、本物は生まれてこないと考えています。

 例えば国宝の喜左衛門茶碗。
 どう見てもあれは腕の良い職人が、なるべく手をかけないで、たくさん作った茶碗の一つでしょう。

 一日何百も作らないと生活が出来ない為、いかに手をかけず少量の粘土で無駄なく作るかの毎日、その為に勢いと力強さが自然に備わり、当然見た目より軽い。
 釉がけも素早い為に、そこに偶然の景色も生まれる。
 焼けも、いかに少量の薪で、釉を早く溶かすかを考えて焚かれた為、釉の表面のみが焼け素地が焼き締まっておらず、その為使えば使う程色合いが変わり、味わいが生まれた。
 日常使いで使い込まれた為に生まれた、この独特な美しさを、日本の茶人が究極の美として取り上げ、いつしか国宝にまで高められていった。

 まさに日本独自の美意識である。

 私もこれが美しいと思い、これに習い、ここをこうすると良く見えるとか、ああだこうだと考えて作るよりも、昔の職人のように無心でたくさん作り、その中から自分の眼にかなうものを選び抜いていきたいと考えるようになった。

 オリンピックだったら明確に順位が付くでしょうが、美の世界は誰が一番なんて決められる訳がありません。
 だったら作家は、自分で目標を決めて、そのハードル1つづつ越えていき、生涯をかけて自分のレベルを上げていくしかありません。

 私にとっての基本は、数を作ること、焼くことです。
 そして時には美術館・骨董屋で本物を見て触れて、自分の選びぬく目を同時に高めていく。
 美しいと思うものの形・雰囲気をしっかり頭の中に叩き込んで審美眼を高め、自らの審美眼を頼りに何千個の中から、1個を選び抜いていかなければならないのだから。
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by ogawagama | 2012-03-09 23:54 | 146 作陶スタイル