昔は窯場の職人のことを「窯ぐれ」と言った。全国の窯場を渡り歩き、今、尚、陶工、原料屋として、昔ながらの窯場の知識、技術を唯一引き継ぐ小川哲央の随筆をお楽しみ下さい。 (2012年3月改訂しました)


by ogawagama

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75 唐九郎2

 桃山に大きく華開いた日本のやきものだったが、その後は残念ながら衰退する一方で、明治・大正時代には、製造メーカーによる安く安定した大量生産の時代となってしまった。
 そんな中昭和8年唐九郎が、「陶芸」という言葉を生み出しこの窯業界に一石を投じた。

 窯業とは違い、今までに見たことがないものを創り出すのが陶芸の役割だと。「止まらず走れ。世の中の常識に媚びるな。」をモットーに新しいことに挑戦し続けた。

 ライバルの豊蔵は、一点づつ丁寧に確実に作るスタイルであったが、彼は1日に200個の茶碗を作り、高台を削る前に半分、削った後半分、窯出しして半分と次々に割るスタイルをとった。つまり大量にものを生み出し、自らの審美眼から、力のある作品だけを選びぬき世に残すスタイル。

 土をブレンドしては個性を殺してしまうので、あくまで単味で使い、水簸しては骨抜きになるからと、手間を承知で全てハタキで粘土とした。
 焼き方も同じことを繰り返しては芸術ではなくなるからと、薪窯にこだわらず重油・ガスそして最新の電気までを使いこなし、失敗を恐れず出来ることは何でもやった。
 彼曰く、「本物の美しさは失敗の中にあるのだ」と。こうして誰よりも多くの桁違いの失敗を繰り返し、独自の美を追求し続けた。

 しかし、ただ闇雲に突き進んだ訳ではない、科学と知識を誰よりも積極的に取り入れ、分からなければ誰にだって聞き、時には海外まで足をのばし、「知る」ということにこだわり続けた。
 まさに貪欲の塊であった。
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by ogawagama | 2012-03-07 10:40 | 75 唐九郎2