昔は窯場の職人のことを「窯ぐれ」と言った。全国の窯場を渡り歩き、今、尚、陶工、原料屋として、昔ながらの窯場の知識、技術を唯一引き継ぐ小川哲央の随筆をお楽しみ下さい。 (2012年3月改訂しました)


by ogawagama

145 水

 昔のやきものと現代のやきもの。比べると何かが違う。

 理由はいろいろあろう。
 原料であったり、その精製法であったり、窯であったり、焚き方であったり、作り手の意識の高さであったり・・・。

 しかし、科学の知識も、便利な道具もなかった昔のやきものに、どうして、恵まれているはずの現代の陶芸家が及ばないのだろうか。
 この疑問を同じく、ある刀剣作家が持った。

 昔の刀剣が優れている謎を解く為に、まずは青森から種子島まで、鉄の原料となるあらゆる砂鉄を集めた。
 次いで製鉄法も、あらゆる角度からの試行錯誤を繰り返し、この結果、かなりのレベルまで達したのだが、まだまだ何かが違う。
 ふと気付き、今まで使っていた水道水をやめ、冬山に沢水を汲みに行った。この水は桶に入れておけば一年腐らない良い水であった。この水を使い、昔ながらの製法で一本の刀を作り上げた。

 この刀は見事、刀匠界のグランプリ、「正宗賞」を取ることが出来たと。

 陶芸家としても学ぶところの多い話である。
 我々も同じく、原料は日本中を自分の足で歩き自らの眼で厳選し、その精製法も、昔の資料をもとに自然の理にかなった製法を試み、窯も何個も作り、焚き、改良を繰り返し、ありとあらゆることにこだわることが、モノづくりの原点のはず。

 たかが水されど水です。
 塩素で消毒し合成された水道水より、美味しい生きた沢水の方が、人間にとって良いのならば、粘土にとっても良いはずです。
 微々たるこだわりかもしれませんが、こういった微々たるものが積み重なって、モノは生まれてくるものです。
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# by ogawagama | 2012-03-09 23:48 | 145 水

144 ありのままに

 ありのままに使う。
 このことは陶器・木工・建築等、自然界の素材を扱う仕事に共通する真理であろう。

 ここでは宮大工の西岡常一の言葉を紹介したい。

「堂塔建立の用材は木を買わず、山を買え、そして自分で山に入り地質を見て、環境の違いによる木の癖を見抜け。」
「1つの塔を造る際は、あちこちの木をバラバラに買わず、一つの山の木を良く見て、うまく組み合わして使え。」
「木組みは寸法で組むな、木の癖で組め。木の癖とは木の心のことだ。」

それぞれ奥の深い言葉である。

 実際に、法隆寺や薬師寺の堂塔を建てる場合、口伝通り、一つの山で生えた木だけを使い、南側で育った木は南側に、北の木は北側にそれぞれ育った方位のまま使用した。
 ありのままに。
 だからこそ何百年経っても美しく品格があるのだと。どんなに良い用材を使用しても、癖を無視した建物は寿命が短いと言い切る。

 木を土に置き換えれば、そのまま優れた陶器が何たるかが見えてきます。
 素材にこだわれば良い仕事が出来るとは限りませんが。
 良い仕事をしている人は誰もが素材にこだわっています。

 現代の作家の多くが、数種類の粘土をブレンドして、扱いやすいものにして使っていますが、果たしてこれで良いのでしょうか。
 確かに備前の土に信楽の土を混ぜてもやきものにはなりますが・・・。

 木で言えばコンパネと同じではないだろうか。
 土それぞれが持つ癖を生かして、100年経っても200年経っても愛されるやきものを作ることこそが、我々陶芸家の使命のはず。
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# by ogawagama | 2012-03-09 23:44 | 144 ありのままに

143 自然灰釉

 釉薬は、科学の力を借りれば、どんな色合い・雰囲気のものも作り出せてしまう現代に、あえて自然な釉薬を作り出したいと、独自の道を歩んでいる人がいる。
 北川八郎氏。
 私同様ちょっと変わった陶工である。
 
 春は菜の花を集め、夏にはひまわりの花を刈り取り、秋にはススキを集め、四季それぞれの色を器に移し取ろうとしている。

 人間一人ひとりに個性があるように、花や木や木の実、果物、野菜たちにも、さまざまな個性があり、それぞれが美しく深い独自の色合い、雰囲気を持っていると信じ、それぞれの個性を生かした灰作りを繰り返し、薪窯で優しく丁寧に焼き上げている。

 確かに、詩人の金子みすずも言っています、「みんな違って、みんないい・・」と。

 実際に彼は・・
木としては     栗 桜 梅 柿 杉 松
野の花としては   アザミ 菜の花 ススキ
野菜としては    トマト なす メロン
木の実としては   リンゴ 栗 柿 桃の実 梅の実
穀物としては    トウモロコシ 麦 小豆
その他       みかんの皮 柿の皮 栗の皮 イチョウ葉 ヨモギ葉 ワインの搾りかす

等あらゆることをやっています。

 但し、灰を作る作業はかなりの労力を要します。
 例えば灰がとれる量は木灰の場合、1tで1~3㎏つまり元の量の1000分の1~3しか取れません。
 アク抜きも1カ月程かかるし、乾かす作業も細かくする作業も全てが重労働である。
 しかしこれらの作業も友人・知人たちと楽しみながら行えば、いろんなものが周りからたくさん集まってくるでしょう。

 またこれらの灰はとてもデリケートで、薪窯で焼くと、まさに千変万化の色合い・雰囲気の焼き物になります。
 年によって、紅葉の美しい秋とそうでない秋があるように、自然灰釉は1200℃を越えたあたりから10℃段階で刻々と色が変わってしまうようで、二度と取れないものばかりとなるそうです。
 まさに自然がくれたプレゼントです。
 実際彼の作品はその人柄もあろうが優しく、温かく、手にした人たちからはとても落ち着くと言われたり、心安らぐとか・・。

 一般の陶芸家は、灰釉の材料は土灰・藁灰としか考えませんが、彼のように植物全てを相手にしてみても面白いじゃないですか。

 21世紀の陶芸界が目指すべき1つの道だと思います。
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# by ogawagama | 2012-03-09 15:53 | 143 自然灰釉

142 21世紀

 日本文化を一言で表すと、「和」。

 日本という国は、建国以来、今までどの文化も否定せずに取り入れ、常に足し算をして築き上げてきました。
これが一つの型として完成されたのが江戸時代。
茶の湯、能、歌舞伎、狂言、日本庭園、日本料理など「わび・さび」を基本とし、四季を楽しみ自然を愛する日本独特の「和」の文化を完成させました。

 しかし、明治に入り、新たに西洋文化と出会い、「力」の文化を取り入れ始めました。
戦前はイギリスを見本に軍事力を。戦後はアメリカを見本に経済力を。

 しかし、昭和も60年代に入ると、この方向性では飽和を迎えてしまった。
軍事力は生命を奪い、生活を破壊し、経済力は大量生成大量消費を促し、環境を破壊してしまった。
 
それではこの先、どう進めば良いのか。
 その答えを私は「文化」と考える。
 
環境と調和した技術・製品は、魅力的であります。廃棄物を少なくする循環型の社会は美しい。
この「魅力」や「美」を軸とする「文化力」こそがキーワードではないだろうか。美意識は主観的なものですが、誰もが持っています。この美しいと思う心が大切なのです。
 
では、どうしたらこの美意識を高めていけるのか?
これは、日本人の最も得意とするところでしょう。
なぜなら、江戸時代にすでに、完成させているからです。
あのアインシュタインも、21世紀は日本の時代と言っていましたが、まさに日本がすでに作り上げた「和」の文化こそを世界が必要としているものです。
 
では、今の我々は何をすべきか?

 各々が生き方を見直し、昔のように自然を愛し、生活に美を取り入れていけば良いだけです。
この生き方を続けることこそが21世紀の世界を、日本が救うことになるのではないでしょうか。
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# by ogawagama | 2012-03-09 15:45 | 142 21世紀

141 畏敬の念

 アインシュタインもニュートンも、晩年は、自然への畏敬の念を常々、口にしていたと聞きます。
 人は、仕事の内容に関わらず、一つの道を追求し続けると、皆この境地に達するようです。

 毎日起きている何気ない出来事も、人はつい、当然のことのように思ってしまうのですが、よくよく考えてみると、全てが偶然ではなく、必然であり、回りの全てのものに影響を受け、影響を与えています。

 私も、1億年前の火山活動によって生み出された花崗岩が徐々に風化し、500万年前の湖に堆積され、1万年以上かけて分解され粘土になった、そんな途方もない歴史の産物を毎日扱わせていただき、私の年齢より上の赤松(30~100年もの)を、切り、割り、その命をいただいて窯を焚かせてもらっています。

 この窯焚きも、私の窯はあえて煙突やダンパー(炎量の調整板)を付けていない為、自然の影響を直接受けてしまいます。
 すると、晴れた日には、鮮やかなグリーンのビードロ、雨の日には神秘的なブルーのビードロとなり、春は明るく、秋は渋い色合いに焼き上がります。
 
 こんな窯を、すでに100回以上焚いている為、「自然への畏敬の念」は増すばかりです。
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# by ogawagama | 2012-03-09 15:42 | 141 畏敬の念