昔は窯場の職人のことを「窯ぐれ」と言った。全国の窯場を渡り歩き、今、尚、陶工、原料屋として、昔ながらの窯場の知識、技術を唯一引き継ぐ小川哲央の随筆をお楽しみ下さい。 (2012年3月改訂しました)


by ogawagama

140 琴馴らし

 中国の昔話を一つ。

 竜門という地に、森の王様ともいうべき立派な桐の木がありました。
 ある時、仙人が、この木から不思議な琴を作り出しました。ところがこの琴には、頑固な精気が宿ってしまい、誰も弾き馴らせず、皇帝に秘蔵とされてしまった。
 このうわさが広まり、この弦でメロディーを奏でたいといろんな人がやってきましたが、いつも無駄に終わりました。
 
 ところがある日、伯芽(はくが)という人物が暴れ馬をなだめるように琴をその柔らかな手でなで、優しく弦に触れると、突然、木の記憶全てが呼びさまされ、甘い春風の歌に始まり、夏の鳥たちのさえずり、そして、寂しい秋の夜の月が輝き、冬の雪が舞い、白鳥がはばたき・・・。それが終わると、次は恋の歌、次は闘いの歌と、次々に美しい音色が奏でられました。
 
 皇帝が伯芽に、どうしてあの琴を弾き馴らすことが出来たのかと問うと、
「他の演奏家たちは己のみを歌おうとしていたからでしょう。私はただ、琴に身を任せ、琴に何を演奏するかを選んでもらっただけです。あとは琴が自分か、自分が琴か分からなくなってしまっただけです」

 この話は我々に、一つのヒントを与えてくれます。
 良い作品とは、作家の内に秘めた感情を奏でる交響曲のようなもの。テクニックに夢中の作家では、自己を超越することは出来ないものです。
 分かる人にしか分からない話でしょうが・・・。
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# by ogawagama | 2012-03-09 15:35 | 140 琴馴らし

139 器の背中

 陶芸家には変な癖がある。外食時、つい食べ終えた器をひっくり返して見てしまう。
 茶席にも高台拝見というものがありますが。

 器を見る時は、まずは手に取り、その感触を味わって貰いたい。
 触れる芸術って意外に少ないものですよ。器は触ってこそ分かるものです。遠慮せずルールを守って、しっかり手にとって撫でて下さい。

 その際、特に裏をじっくり見て貰いたいものです。

 人の背中に語るものがあるように、器の背中、つまり裏にこそ本当の表情が隠されています。
 特に削り具合には、作り手の思いが一番込められているものです。じっくり見て頂ければ、いろんなことが見えてきましょう。
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 かつて器を作る際は、誰もが土作りをしなければならなかった。石を砕き、植物を燃やし釉薬を作らなければならなかった。木を伐り出し、薪も作らなければならなかった。窯を築き、寝ずの番をして薪を焚べ続けなければならなかった。これらは全て体を使う仕事でした。
 こうして体を使って作られた器には、必ず力が備わっていました。
 心に響く生命力がありました。

 しかし現代の器作りは、電話一本で全国の原料が手に入り、スイッチ一つのマイコン制御の電気窯で安易に焼かれたものが主流です。
 一見かっこいいのですが、裏を見ていても何も語ってくるものがない。
 最も大切な、生命力が備わっていないのです。
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# by ogawagama | 2012-03-09 15:29 | 139 器の背中
 人は生きていかなければならない、生き続ける為に食べる、その食べることを支える器。

 器は特別なものではなく、食べる為の道具です。決してガラスケースに鎮座して、偉ぶるものであってはならず、台所一の働きものであるべきだと考えます。
 器は特別なものではなく、音楽を聴いたり、本を読んだりするのと同じように、いつもその人の傍にいるものでありたい。

 作家ものは壊れるのが怖くて、なんてことをよく聞きますが、良く考えて下さい。
 自分のかけがいのない人生において、毎日使う器こそ、自分が選んだ大切なものを使うべきであり、自分の時間といつも一緒にいるからこそ、更に愛着が深まるものです。

 器に現れる経年変化は、誰のものでもない、あなたとの共有の財産でもあります。
 二度とない時間だからこそ、その時間は大切なモノと過ごして欲しいものです。

 器とは作り手がいて、使い手がいて、両方があって完成するものです。器はあくまで食べる為の道具であり、使われるからこそ生きる価値があり、器として完成していきます。

 そして器を完成させるのは、実は使い手の皆さんです。

 「作り手半分、使い手半分です。」
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# by ogawagama | 2012-03-09 15:26 | 138 作り手半分使い手半分

137 幸福度

 親しみを感じる器がある。なぜだか分からないがいつも手が伸びてしまう。
 モノとして生まれた器なのに、いつしか情が移り、ついついその器ばかり使ってしまうもの。

 酒を飲む人の中には、晩酌の友として愛用するぐい呑を、どこにでも持って行く人もいます。
 コーヒーを飲む時は、愛用のカップでないと落ち着かない人もいるでしょう。
 旅茶碗も、いつでもどこでも美味しくお茶を頂く為に、旅先まで連れていくところから始まったものでしょう。

 この親しみという感情は、人間にとってとても大切なものだと思う。器だけではなく、着るものも、食べるものも、住まいも。

 どうせ同じ時間を過ごすのであれば、親しみを抱くモノたちに囲まれて暮らしたいものですね。
 親しみとは、そのモノに心を許すことだと思う。しかし、この尺度はあくまで個人で違うもの。決して流行や他人の目を気にするものではなく、自分の心と体が本当に心地よいと感じるものであり、そんなモノたちと共に長く暮らしていけたらどんなに幸せだろうか。

 現代のように、合理的に、次から次へと安いモノを消費する社会ではなく、自分にとって本当に大切なものを、自分の眼で見つけ、大事にして長く使っていく社会こそが、私の理想。

 そろそろ幸福度をものさしにした生活に切り替えてみませんか。
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# by ogawagama | 2012-03-09 15:18 | 137 幸福度

136 元禄バブル

 今から400年ほど前、長く続いた戦乱の世が終わり、やっと自由で闊達な時代を迎えられることになった。その時代の要請を受け生まれたのが織部焼。

 ただ使うだけではなく、見せる為の器作りはここから始まった。
 ファッションとしての器の誕生とも言えよう。
 ピリッとした堅いものもあれば、思わず笑ってしまうような柔らかいものまで、どこから着想したのか分からないような意匠もあふれ、まさに千変万化のデザイン。

 どうしてこのような斬新なものが次々に生まれたのだろう。

 その答えは、当時、史上空前の経済繁栄があったからです。
 平成バブルの100倍だとか。

 特に銀は世界の3分の1も産出しており、この銀を求めて世界中が殺到していたそうで、こうして世界中の美術品も次々輸入される中、都市の富裕層たちは、もっともっと新しく美しいものを欲しがり、京や堺の数寄者たちが中心となって、国産やきものもプロデュースし始めたのです。
 志野・黄瀬戸・唐津・備前・伊賀等。中でも織部の緑は異国情緒たっぷりの楽園のイメージと重なり大流行となりました。

 織部焼の最大の特徴は遊び心。
 ひずんだフォルム・非対称なバランス・大胆な模様。これらの器は「ヘウゲモノ」と呼ばれていたようで、これはかぶいた器という意味。
 奇抜な格好で、京都の街を闊歩していた若者たちのことを「かぶき者」と呼んでいたところから名付けられたようです。

 しかし流行とは怖いもので、次の元和年間には忽然とその姿は消えてしまう。まさにバブルの申し子の織部焼であった。
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# by ogawagama | 2012-03-09 15:16 | 136 元禄バブル