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昔は窯場の職人のことを「窯ぐれ」と言った。全国の窯場を渡り歩き、今、尚、陶工、原料屋として、昔ながらの窯場の知識、技術を唯一引き継ぐ小川哲央の随筆をお楽しみ下さい。 (2012年3月改訂しました)


by ogawagama

112 黄金の黄瀬戸

 黄瀬戸の名品を見るたびに不思議な思いにかられる。
 「油揚手」その色と膚合いがかもし出す優雅な雰囲気に、いつも引き付けられてしまうのだが、私の中で疑問がある。
 
 何故、当時(桃山時代)、茶碗が作られなかったのだろうか?
 
 光が当たる角度によっては、黄金にも輝く美しい黄色は、抹茶の緑と実に良く合うはずなのに。(唯一、茶碗として残る「アサイナ」は、明らかに志野として素地を作ったものに、間違えて黄瀬戸釉をかけてしまったものであろう。)
 
 桃山という時代が作る黄瀬戸の茶碗がもっと見たかった。こう思う人間は私だけではないだろう。
 
 当時の釉は、木灰だけでは流れ易いので、4割程長石を加えただけのシンプルなもの。長石は無色透明。
 つまり、灰に含まれる成分だけによる色合いの為、柞(イス)灰、栗皮灰、松灰、樫(カシ)灰、クヌギ灰、ナラ灰等、それぞれに焼き上がりが変わってくる。いろいろある中、最も美しい黄色となるのが、椿灰と樫灰であろう。
 
 あの唐九郎は、親友が持つ伊豆大島の椿を、わざわざ切り倒して灰を作ったと聞く。
 現代の黄瀬戸作家はといえば、うなぎ屋に頼んで、店で使ううばめ樫の「備長」の炭の灰を、丁寧に10回以上、アク・油抜きをして使っている人が多い。

 とにかく黄瀬戸は、この灰の選択と精製法がすべて。
 とは言え、100個焼いても1~2個しか、あの輝かしい「油揚手」にはならない。実にデリケートなやきものでもある。更に、タンパン、コゲのバランスが良いものと考えれば、1000個に1個しか焼けないのではないだろうか?
 
 現代作家では各務周海氏のものが好きだが、美しい黄金色の黄瀬戸を焼いていたのは数年だけ、その後は良質な灰が無くなり、緑がかった黄色となってしまった。

 やはり、灰が全てなのであろう。

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by ogawagama | 2012-03-08 10:22 | 112 黄金の黄瀬戸