112 黄金の黄瀬戸
2012年 03月 08日
「油揚手」その色と膚合いがかもし出す優雅な雰囲気に、いつも引き付けられてしまうのだが、私の中で疑問がある。
何故、当時(桃山時代)、茶碗が作られなかったのだろうか?
光が当たる角度によっては、黄金にも輝く美しい黄色は、抹茶の緑と実に良く合うはずなのに。(唯一、茶碗として残る「アサイナ」は、明らかに志野として素地を作ったものに、間違えて黄瀬戸釉をかけてしまったものであろう。)
桃山という時代が作る黄瀬戸の茶碗がもっと見たかった。こう思う人間は私だけではないだろう。
当時の釉は、木灰だけでは流れ易いので、4割程長石を加えただけのシンプルなもの。長石は無色透明。
つまり、灰に含まれる成分だけによる色合いの為、柞(イス)灰、栗皮灰、松灰、樫(カシ)灰、クヌギ灰、ナラ灰等、それぞれに焼き上がりが変わってくる。いろいろある中、最も美しい黄色となるのが、椿灰と樫灰であろう。
あの唐九郎は、親友が持つ伊豆大島の椿を、わざわざ切り倒して灰を作ったと聞く。
現代の黄瀬戸作家はといえば、うなぎ屋に頼んで、店で使ううばめ樫の「備長」の炭の灰を、丁寧に10回以上、アク・油抜きをして使っている人が多い。
とにかく黄瀬戸は、この灰の選択と精製法がすべて。
とは言え、100個焼いても1~2個しか、あの輝かしい「油揚手」にはならない。実にデリケートなやきものでもある。更に、タンパン、コゲのバランスが良いものと考えれば、1000個に1個しか焼けないのではないだろうか?
現代作家では各務周海氏のものが好きだが、美しい黄金色の黄瀬戸を焼いていたのは数年だけ、その後は良質な灰が無くなり、緑がかった黄色となってしまった。
やはり、灰が全てなのであろう。