昔は窯場の職人のことを「窯ぐれ」と言った。全国の窯場を渡り歩き、今、尚、陶工、原料屋として、昔ながらの窯場の知識、技術を唯一引き継ぐ小川哲央の随筆をお楽しみ下さい。 (2012年3月改訂しました)


by ogawagama

130 「冷(ひえ) 凍(しみ) 寂(さび) 枯(からび)」

 初期の茶人たちは、どこにでもあるような平凡な器を観て、触れ、その凡庸さの中に「冷(ひえ) 凍(しみ) 寂(さび) 枯(からび)」の美を見抜いてきた。無論、その背景には、茶の湯の美学が何であるかを、心底分かっていたからである。

 例えば、古備前水指、銘「青梅」。
 ひも作りから、ロクロ成形に移ってまだ間もない頃の備前焼である。
 この水指を見て、多くの人は、何と無表情なつまらない水指としか思えないであろう。一見する限り、訴えるものが何もないから仕方ない。
 ロクロもまだ巧みではなく、何処にでもあるような円筒型の姿で、焼けも良くない。
 光沢がなく、黒っぽい地膚に、褐色が少々にじんでいるかの風合い、当然、一般人には何も感じられない器であろう。
 しかし、この何とも言えない風合いこそが、「無」に近付くことを目的とする茶席においては、大きな役割を果たしてくれる。このことを、本物の茶人は見抜くのである。

 「無」と「冷(ひえ) 凍(しみ) 寂(さび) 枯(からび) が生み出す美」は、限りなく近く、茶の湯において最も大切なもの。
 五感を研ぎ澄まし、自らの生涯をかけ、茶の湯を研鑽してきた初期の茶人たちにとって、茶の湯とは、「美に向かう」為のものであり、まさに、「禅の境地」そのものであったと思う。

 果たして豊かすぎる現代の茶人に、何も語らず「青梅」を見せて、この良さを見抜けるだろうか?

 初期の茶人は「冷(ひえ) 凍(しみ) 寂(さび) 枯(からび)」を求めた。
 しかし、その後皮肉にも世の中は、これらをなくす為に、一生懸命努力して、豊かな物質文明を築き上げてきた。
 「冷(ひえ) 凍(しみ) 寂(さび) 枯(からび)」は自分の心と体で実際に味あわないと決して分かるものではない。
[PR]
by ogawagama | 2012-03-09 00:07 | 130 「冷 凍 寂 枯」