145 水
2012年 03月 09日
理由はいろいろあろう。
原料であったり、その精製法であったり、窯であったり、焚き方であったり、作り手の意識の高さであったり・・・。
しかし、科学の知識も、便利な道具もなかった昔のやきものに、どうして、恵まれているはずの現代の陶芸家が及ばないのだろうか。
この疑問を同じく、ある刀剣作家が持った。
昔の刀剣が優れている謎を解く為に、まずは青森から種子島まで、鉄の原料となるあらゆる砂鉄を集めた。
次いで製鉄法も、あらゆる角度からの試行錯誤を繰り返し、この結果、かなりのレベルまで達したのだが、まだまだ何かが違う。
ふと気付き、今まで使っていた水道水をやめ、冬山に沢水を汲みに行った。この水は桶に入れておけば一年腐らない良い水であった。この水を使い、昔ながらの製法で一本の刀を作り上げた。
この刀は見事、刀匠界のグランプリ、「正宗賞」を取ることが出来たと。
陶芸家としても学ぶところの多い話である。
我々も同じく、原料は日本中を自分の足で歩き自らの眼で厳選し、その精製法も、昔の資料をもとに自然の理にかなった製法を試み、窯も何個も作り、焚き、改良を繰り返し、ありとあらゆることにこだわることが、モノづくりの原点のはず。
たかが水されど水です。
塩素で消毒し合成された水道水より、美味しい生きた沢水の方が、人間にとって良いのならば、粘土にとっても良いはずです。
微々たるこだわりかもしれませんが、こういった微々たるものが積み重なって、モノは生まれてくるものです。