昭和の初め民芸研究家柳宗悦が、この茶碗を一般庶民が使う飯茶碗と主張した。
土は裏山から掘り、釉は炉からとってきた灰、百姓が使う安ものだから、作り手は粘土をケチり形はシンプル、削りもざっとで荒い、焼き方も乱暴で「ひっつき」があっても気にしない。こうして焼かれた雑器の一つであり、こんなものの中に美を見つけ出した利休はすごいと。
この考えが今でも主流である。
しかしこれに異論を唱える朝鮮の陶工がいた。その理由をいくつか紹介したい。
1.当時の陶工は皆、左右対称の完璧なものを作る技術を持っていた。
2.いまだに同種の陶片すら、ほとんど出てこない。
3.当時の風習で祭器は、その役割が終わると粉々にして割り、土に埋めていた。
4.飯茶碗は高台が低く、高いものは祭器。
5.祭器はオーダーメイドの為、いろんな形のものがある。歪み・耳付き・割り高台等。
6.びわ色は真鍮祭器を真似た色。
ここまで地元の陶工が調べ上げているのだから、そろそろ井戸茶碗の解釈を変えた方が良いのではないだろうか。
井戸茶碗とは、百姓が使う雑器ではなく、オーダーメイドの祭器であると。