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[ 2012-03 -09 15:08 ]
時にユーモラスであり、時に力強く、時に優しくもあるが。
全てのものに共通するのが、敬虔な祈りが込められており、神聖であり、生命力が備わっているところでしょう。
しかしその後は、やきもの先進国、中国・朝鮮に学びながらとなり、何だか日本人らしくなく、借り物のやきものが続きます。
桃山になってやっと、茶道の力を借り、再び日本人らしいやきものを誕生させることになる。
当初は詫び寂びの精神から始まったのだが、時代の要請と共に段々華やかとなり、元禄の世に大きくその華が咲き乱れた。志野・黄瀬戸・織部・瀬戸黒・唐津・備前・伊賀等。
しかしその後は、磁器が生まれたのを機に、伊万里・九谷・柿右衛門・金襴手の時代となり、海外への輸出産業に移行。
この間仁清・乾山・光悦らの名工も生まれ、いつしか、世界をリードするまでに発展してきた日本のやきものであったが、産業革命を機に一気に変わることとなる。
自然界に転がる石や土を生かし、薪窯で焼く今までの日本らしいスタイルではなく、科学の力を利用し精製された鉱物を使い、安定したものを大量に安く焼く窯業の時代へと移っていく。
板屋波山・河井寛次郎・濱田庄司らが美しい焼き物も作りはしたが、西洋の窯業理論からのアプローチであり、日本古来のやきものではなかった。
戦後この流れを変えたのが、唐津の中里・備前の金重・美濃の豊蔵・萩の休雪・瀬戸の唐九郎ら。
同じ時代に、それぞれが違う場所で、桃山の古窯跡の陶片を頼りに、途絶えていた昔ながらの日本独自の技術・原料・窯を復活させた。
こうして彼らの努力の恩恵を受けて今の陶芸界が存在している。
現代のやきものは、東洋と西洋が混然としています。
単にやきものと言えば、磁器が80%、これらはすべて石を焼き固めたもので、西洋理論からのアプローチによるものです。
これに対し、土を焼き固めたものが陶器。
この陶器も、西洋理論からのアプローチが主流ですが、私は昔ながらの東洋理論が大好きです。
多くの生物を育む大地の素材「土」を、薪の炎で焼き上げた器。
日本人はこれを神聖なものと考えて縄文時代からずっと大切に使い続けてきました。
この伝統を私は大切に引継いでいきたい。