そんな中昭和8年唐九郎が、「陶芸」という言葉を生み出しこの窯業界に一石を投じた。
窯業とは違い、今までに見たことがないものを創り出すのが陶芸の役割だと。「止まらず走れ。世の中の常識に媚びるな。」をモットーに新しいことに挑戦し続けた。
ライバルの豊蔵は、一点づつ丁寧に確実に作るスタイルであったが、彼は1日に200個の茶碗を作り、高台を削る前に半分、削った後半分、窯出しして半分と次々に割るスタイルをとった。つまり大量にものを生み出し、自らの審美眼から、力のある作品だけを選びぬき世に残すスタイル。
土をブレンドしては個性を殺してしまうので、あくまで単味で使い、水簸しては骨抜きになるからと、手間を承知で全てハタキで粘土とした。
焼き方も同じことを繰り返しては芸術ではなくなるからと、薪窯にこだわらず重油・ガスそして最新の電気までを使いこなし、失敗を恐れず出来ることは何でもやった。
彼曰く、「本物の美しさは失敗の中にあるのだ」と。こうして誰よりも多くの桁違いの失敗を繰り返し、独自の美を追求し続けた。
しかし、ただ闇雲に突き進んだ訳ではない、科学と知識を誰よりも積極的に取り入れ、分からなければ誰にだって聞き、時には海外まで足をのばし、「知る」ということにこだわり続けた。
まさに貪欲の塊であった。