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昔は窯場の職人のことを「窯ぐれ」と言った。全国の窯場を渡り歩き、今、尚、陶工、原料屋として、昔ながらの窯場の知識、技術を唯一引き継ぐ小川哲央の随筆をお楽しみ下さい。 (2012年3月改訂しました)


by ogawagama
 初期の茶人たちは、どこにでもあるような平凡な器を観て、触れ、その凡庸さの中に「冷(ひえ) 凍(しみ) 寂(さび) 枯(からび)」の美を見抜いてきた。無論、その背景には、茶の湯の美学が何であるかを、心底分かっていたからである。

 例えば、古備前水指、銘「青梅」。
 ひも作りから、ロクロ成形に移ってまだ間もない頃の備前焼である。
 この水指を見て、多くの人は、何と無表情なつまらない水指としか思えないであろう。一見する限り、訴えるものが何もないから仕方ない。
 ロクロもまだ巧みではなく、何処にでもあるような円筒型の姿で、焼けも良くない。
 光沢がなく、黒っぽい地膚に、褐色が少々にじんでいるかの風合い、当然、一般人には何も感じられない器であろう。
 しかし、この何とも言えない風合いこそが、「無」に近付くことを目的とする茶席においては、大きな役割を果たしてくれる。このことを、本物の茶人は見抜くのである。

 「無」と「冷(ひえ) 凍(しみ) 寂(さび) 枯(からび) が生み出す美」は、限りなく近く、茶の湯において最も大切なもの。
 五感を研ぎ澄まし、自らの生涯をかけ、茶の湯を研鑽してきた初期の茶人たちにとって、茶の湯とは、「美に向かう」為のものであり、まさに、「禅の境地」そのものであったと思う。

 果たして豊かすぎる現代の茶人に、何も語らず「青梅」を見せて、この良さを見抜けるだろうか?

 初期の茶人は「冷(ひえ) 凍(しみ) 寂(さび) 枯(からび)」を求めた。
 しかし、その後皮肉にも世の中は、これらをなくす為に、一生懸命努力して、豊かな物質文明を築き上げてきた。
 「冷(ひえ) 凍(しみ) 寂(さび) 枯(からび)」は自分の心と体で実際に味あわないと決して分かるものではない。
# by ogawagama | 2012-03-09 00:07 | 130 「冷 凍 寂 枯」

129 窯変天目

 窯変天目とは、漆黒の釉面に大小様々な結晶が浮かび、その周りが玉虫色に光り輝いているもので、世界中で日本にたった3碗しかない貴重なもの。
 中国で宋時代に焼かれたと言われているが、その中国では一片のカケラすら出てこないという謎の多い焼き物である。

 しかし2006年土岐試験場から1つの研究が発表された。
 黒天目釉の器に鉛と銀を筆で塗り、900℃で焼き直すと窯変紋が生まれると。

 私もこの実物を見たが、まさしく窯変天目であった。
 更に驚いたことに青の紋様だけではなく、赤・緑・黄金・紺色まであり、研究員が現代の科学と知識を駆使し見事に作り上げたものでした。

 さて、ここからが私の推理。

 中国から持ち帰った黒天目茶碗、同じ形の黒ばかりではつまらない。そこで、ある数寄者がここに紋様を付けさせたのでは・・・。
 すでに鉛は楽焼きで使われていた。また、窯変天目が生まれた頃、日本は銀の産出量が飛躍的に伸び、手に入り易くもなっていた。この銀を新たに楽焼きに使わせたのではないだろうか。
 当時格下である日本に、あの中国が気前よくお宝を与え、手元に残さなかったとは考えられない。

 推理は続く。窯変天目の紋様が鉛だとすると、器の上に浮いているだけの鉛では、かなり毒性が高い。晩年の秀吉はもしや、この被害を受けていたのでは。
 
 そしてもう一つ。信長が本能寺で焼失させた窯変天目は、現存する3碗とは違っていたらしい。もしや赤の紋様だったのではないだろうか。
 土岐試験場で赤い窯変天目を見たときにビッビッときた。信長好みだと。
# by ogawagama | 2012-03-09 00:03 | 129 窯変天目
 緋だすきは、備前焼において、大きな作品の中の空間がもったいない為、この中にも小さな作品を入れて焼こうとした際、そのまま入れてはくっついてしまうので、耐火度の高い藁を間に挟んだり巻いたりした為に生まれた模様のことです。

 備前の土に直接炎が当たると、いわゆる茶~シソ色に焼き上がるのですが、大きな器の中に入れると直接炎が当たらず蒸し焼きになり、素地全体の色は薄い肌色に焼き上がり、藁を巻いた部分だけが、赤く模様となります。この赤色を昔は緋色と言い、藁をたすきに巻くことが多かったので、「緋だすき」と命名されたようです。

 さて、どうして藁を巻くと赤くなるのかをここで科学したい。

 備前の土には2.5%の鉄分が入っています。この土を1250℃で普通に焼くと、鉄分が溶けた形のムライトになるのだが、ここに藁を巻くと、藁の主成分はケイ素と塩化カリウム。
 600℃程で備前土の鉄分と藁の塩化カリウムが反応し合い、ヘマタイトという新たな結晶鉱物を作り出す。
 これが温度を上げていくと、だんだん増えていき800℃でピークとなる。
 しかし1000℃からは減り始め、1200℃で消えてしまう。
 これを急冷させては消えたままなのだが、徐冷つまり1時間に30℃~12℃でゆっくり冷ましていくと、1100℃~1050℃辺りで、再びヘマタイトが現れてくる。
 このヘマタイトこそが赤色の正体。
 電子顕微鏡で見ると、このヘマタイトの結晶がはっきり確認出来ます。

 ちなみにゆっくり冷ますとヘマタイトの結晶が小さく暗赤色。かなりゆっくり冷ますと結晶が大きく成長して黄赤色になります。

 これが緋だすきの科学的解明です。

 実際、私も研究しましたが、粘土に鉄分が2~3%入っていないと緋が出ませんし、いくら備前土を使っても急冷させては緋が出ません。
 但し、備前の粘土でなくても鉄分が2.5%程入っていれば、どんな粘土でも構いませんし、実際の藁でなくてもよく、塩化カリウムをアルコールで溶いたものを直接塗っても緋は出ます。

 このような理論を知って焼くのと、知らずに焼くことには大きな違いがあると思っています。
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# by ogawagama | 2012-03-08 23:57 | 128 緋だすきを科学する

127 備前焼成法

 一般的な備前焼の焼成法をここで紹介したい。

 まずは、ガスや灯油のバーナーで火を入れ、窯をゆっくり温める。2日で200℃程になろう。
 4日目で400℃になるが、この400℃を超えた辺りから薪を併用し始める。
 ここからは1時間に10℃を目安に上げていく。
 こうして650℃までを下の焚き口だけで焼くのだが、ここからは上の焚き口との併用となる。
 
 薪の本数を8本、10本、12本、14本、16本と徐々に増やしていき、6日目で1000℃程になろう。
 この間燠がたまると、ロストルを開け、下からの空気を入れたり、時に閉めたりして調整をする。
 更に18本、20本と増やしていき、8日目でマックスの1130℃になろうか。

 この温度帯を3日間引っぱると、11日目辺りでゼーゲル8が完倒するであろう。
 この間決して、1150℃を越えないようにすることが大切なポイントでもある。

 12日目、大くべを何回か繰り返して、最後に炭サンギリを取る為に、大量の炭を放り込み、ウドを終わる。
 1時間程ウドの炭によるガスを抜き、一番と呼ばれる次の部屋に移る。
 
 一番はすでに950℃程に上がっているので12時間程かけてゆっくり焚いていき、同じく最後に炭を放りこんで終わる。

 次いでまた1時間程ガス抜きをして次のケドに移る。この部屋は1000℃程に上がっているので6時間程で終わることでしょう。

 こうして12日間をかけてゆっくり焼き、同じく12日間ゆっくり冷まして窯出しを迎える。
 300人程いる備前作家はこんな焚き方を基本として、ここにそれぞれのオリジナルを加えている。

 備前では長さ60センチ、太さ8~10センチの松割木が6~8本で一束になったものを2000束使います。
 10トントラック一杯程の量になります。
 これは備前の土は有機物・強熱減量・モンモリロナイトが多いので、ゆっくり温度を上げ、ゆっくり冷ますしか方法がないからです。
 しかしこれが備前焼の魅力そのものでもあります。もしこの土を簡単にさっと焼いてしまうと、同じ土とは思えないほど厭らしく、つまらない焼けになってしまうのです。
# by ogawagama | 2012-03-08 23:51 | 127 備前焼成法

126 土踏み

 粘土は精製法の違いから、ハタキ土・水簸土・市販土に分けられる。

 ハタキ土とは、山から採ってきた粘土を乾燥させて、スタンパーや木槌で細かく砕き、好みの荒さにフルイをかけ、これで堤防のような土手を作り、中に水を入れ手で混ぜ、足で踏んでいく。
 足の小指側の側面を使って、足で切るようにカニ歩きでグルグル回り均一にしていく。うどんの作り方と同じです。
 こうして何度も踏み混ぜられて、粘りが出たものを、15~20キロに切り分け、ビニール袋に2重にして包み、3年以上寝かしてから使います。
 ハタキ土は粗雑で石も入ったままで扱いづらいものですが、土そのものの個性が生かされ、味のある粘土となります。

 水簸土は、山から採ってきた粘土を乾燥させて、木槌である程度に砕き、これを水に浸して一晩置き撹拌する。
 上に浮いたゴミ等を取り除き、中ほどの水を汲み上げて、木箱に移す。こうして下に沈んだ砂利や小石を捨てて、きめ細かな粘土を作る。木箱である程度乾いたものを、石膏鉢等に移し更に乾燥させ、扱いやすい固さになったところで、同じように15~20キロに取り分け、ビニール袋に2重にして包み、1年程寝かしてから使います。
 水簸土は滑らかで扱い易く焼き傷も出づらく、ほとんどの作家がこの作り方をしています。

 市販土は、その90%が大量生産の窯業で使われるものなので、とにかく安定性が求められ、30種類以上の原料をトロミルという機械に入れ、細かく摺り潰しながら混ぜ合わされ作られている。
 これは1つの原料が無くなってもさほど影響が出ないようにわざわざ多くの原料を使っている訳です。
 精製過程でいろんな機械を使うので、鉄粉が入り込みやすく、これを取り除く為、最後に脱鉄機を通さなければならず100目以下の細かさしか出来ません。
 出来上がったものは真空土練機を通して市販される。すぐに使え便利でその上安く安定している。

 しかし私は、粘土を生きものと考えているので、トロミルで摺り潰しては、土それぞれが持つ結晶構造が壊れてしまう上、一つづつに個性があるものをブレンドしたり、化学物質を混ぜ入れ安定させたり、真空土練機を通して、一瞬の内に粘土を真空状態にして殺してしまい、扱い易くされた粘土はどうも苦手です。
 なんだか死んだものを触っているようで。

 私は、毎年夏場に、自分の粘土を3トン作っていますが、全てハタキ土です。
 夏の土踏みはいい運動になりますし、とても気持ちが良いものです。また自分で手間暇かけて作った粘土には愛着が持て、大切に使えるものです。
# by ogawagama | 2012-03-08 23:40 | 126 土踏み